昨今、ネットで盃漁港のロックアウト、立入禁止が話題になっています。このブログを書いた後だったのでちょっとこれまたびっくりしました(最近釣りに関連して、心臓に良くないニュースが多いです。。)。
そこで早速釣り業界の関係者の方に聞いてみたところ(なので伝聞ではありますが、かなり確度は高いです)最近天気がものすごい荒れ続きなので、地元警察と漁協、自治体、港湾工事関係者の間で話し合いをして(盃漁港は工事中なので港で寝泊まりしている人がいますし、役場施設もあるので役場職員も結構出入りしている)海難事故の予防的措置として、一時的に立ち入り禁止にしただけ、との事です。天気が復調したらまた元に戻すそうです(時期は聞き漏れました)。
ただし、元々盃漁港は抱卵ホッケの「メッカ」という事もあり、例年初冬の天気が荒れる季節に多くの釣り人がドカッと押し寄せます(me too…)。中には波をすごいかぶっている状況でも無理をして防波堤の先端部で釣りをしている人が少なからずおり(しかもライジャなし)、地元警察や漁協関係者の間では常々事故を懸念しています。
なので今後の展開によっては本当に「釣り人出禁」になってしまう可能性があるかもしれません。ここも恒久的に立ち入り禁止になってしまうと。ホントに痛いので、くれぐれも気をつけたいですね。
・・・にしても、気のせいなのか?今年この手のお話が本当に多いです。釣り団体、企業、メディア、行政機関等はそれぞれの立場や思惑がありますので、なかなか言いにくい事もあるでしょうし、結果本当の事情というか、状況というのが我々釣り人にはなかなか伝わりにくく、結果単に「釣り禁止」という話だけが一人歩きしており、私も一人の釣り人として昨今の状況には大変不安を感じています。
たまたまいろいろと個人的に話を聞ける事もあり、また特に何かのオフィシャルメディアでもない、僕の知名度も信用度も低いこの個人ブログであれば、皆さんにある程度気軽に(?)事の背景、趣旨をお伝えして、大事に釣り場守っていきましょうね、という事をささやかでも周知できればと思って書いています。が、この手の記事を書くと、ごくまれにですがヘンな人に絡まれたり、この記事が契機になってやや強めの議論になっているを目撃します。なんとなく「もらい事故」感があり、なので正直なところ最近この手のお話を書くのはやや気が重いです。。
現実逃避という訳でもないのですが、また徐々に楽しい釣りの話を中心に戻せて行ければと思っています。マナーも悪い方なので、気をつけます。
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コメント
いつも書きにくい、しかし気になる記事をアップしてくださり感謝しています。
私が思うのは行政がハッキリと言葉に出さなければならなくなるまで追い詰めるようなことはしてくれるな!ということですね。
追い詰めた結果、白黒ハッキリつけさせようとしたら、行政はどこの釣り場も「釣り禁止」にするしかないのというのが実際だと思います。
聞けば聞くほど必要以上に厳しくなります。
不本意ではありますが、それぞれがマナーを守りながら、グレーな所はグレーのままに、だまし釣りをしていくというのがこれかたのあり方かなって思ってます(個人的見解です)
コメントありがとうございます。
まさにそうなんですよね。
「ダメですか」
と聞いて
「良いです」
と応えてしまったら、事後にもし何かあったら、管理責任を問われますから、個人的にはさせてあげたくても、あるいは法的根拠が曖昧だったとしても管理者は「ダメです」というに決まっています。
ただ、実際はほとんど「追求」することはなく、事実上「黙認」されています。それが日本のほとんどの港の実態です。
日本の法律は「罪刑法定主義」という原則で成り立っています。ほとんどの民主主義国家はそうです。
つまり、「これをすると犯罪ですよ」と明記されていない行為は「違法」ではありません。例え「それなんかすっごいおかしいですよね!?」という事があったとしても、法で明記されていない事は違法、犯罪行為にはならないし、裁くことは出来ないのです。それは民主主義の根幹をなす考え方です。じゃないと時の権力者がいくらでも恣意的な運用が出来てしまうからです。
勿論「解釈」という部分の「揺らぎ」は存在します。
そしてそこで一部の声の大きな、とても正義感の強い、真面目な人が(あるいは別の目的の人が)「そこは禁止だぞ!」「あ~ダメなのに!」と「自粛警察」に走ります。
その言っていること自体は「100%」間違っている訳ではありません。
しかし、どうしてそう言うのか、何のために声高に叫ばなくてはならないのか、事の本質をよく考える必要があるのではないかと個人的には思っています。
いつまでも楽しく水辺で釣りを楽しみたいですね。
そしてその楽しみが、きちんと子供達に伝えていくことが出来ればと思っています。
未来を担う子供達が水辺から遠ざってしまい、その楽しさや大切さを「肌で」感じる事が出来なければ、やがてそれを軽視するようになり、数十年後そのツケはその次の世代が払う事になると僕は思っています。